北海道開拓

三島億二郎像

 先日河井継之助記念館の稲川館長から、越後人の北海道開拓の歴史についてお話を聞きました。
 長岡の幕末の三偉人と云えば、峠の河井継之助米百俵小林虎三郎、そして北越銀行、長岡日赤病院の基礎を築いた三島億二郎です。
 先の2人は全国的にも有名ですが、三番目の三島は長岡人でも知らない人が多いかも知れませんが、三人の内で一番長生きをし、そして近代長岡の基盤づくりをした億二郎は、私が一番尊敬する人物です。
億二郎は、晩年戊辰戦争北越戦争を起こし、民衆を苦しめたことを償うべく、自らの理想郷を北海道に求め、老骨に鞭打ちながら長岡、魚沼、蒲原の人を引き連れ、現在の北海道江別市へ入植しました。
 過酷な条件下での開拓は非常に難渋したとのことですが、億二郎のそれまでの政治経験や卓越した識見で、入植した人たちを導き、数ある北海道入植・開拓でも大成功した例とのことです。
 江別の北から南に大河石狩川が流れる風景は、長岡の南から北へ大河信濃川が流れる風景に良く似ているとのことで、ふるさと越後長岡を思い浮かべながら、歯を食いしばって開拓に励まれ江別市の基礎を築いた長岡の先人達に敬意を表したいと思います。
 来月機会あって江別へ行くことにしておりますが、120年前どんな気持ちで原生林が生い茂る大地に立ち、そして寒さ厳しい冬を過ごし、一緒に行った仲間同士で助け合って生き抜いたか?を少しでも感じ取れたらと思っています。
 人生の終焉のプロジェクトとして億二郎が選んだ開拓という道、自分の集大成を北海道の大地で現実とすべくがんばった億二郎の気持ち、そして私利私欲、名誉名声に捉われることなく自らの信念に従い生き抜いた億二郎姿に、我々現在人が学ぶべきことが多いように感じます。
 毎週土曜日、ユニバーサル農園芸えちごの活動で、億二郎の銅像の下を通って信濃川河川敷の畑へ通っています。
 億二郎が指差す方向には理想郷があるのでは?と思うと同時に、億二郎の爪の垢でも煎じて飲まなければ!と思う稲川館長の感動するお話でした。