家老洋の一般質問:過疎地域の活性化!

 一般質問の原稿は以下の通りです。興味がありましたらご一読ください。合掌
http://gikaivideo.city.nagaoka.niigata.jp/nagaokacongress/SubResultScreen.asp
長岡市の過疎地域自立促進政策について』 しんし新政クラブ 家 老  洋

しんし新政クラブの家老洋です。通告しました『長岡市の過疎地域自立促進政策について』質問いたします。
 10年前の平成12年3月31日に成立しました「過疎地域自立促進特別措置法」の失効期限が今月3月31日に迫り、法律の改正により6年間:平成28年3月31日まで同法が延長されることに伴い、先般12月議会に「長岡市過疎地域自立促進計画」が提案され可決されました。
 現在長岡市で、所謂「過疎法」の規定により、過疎地域と見做されているのは、人口1000人余りの山古志地域から、小国、和島、川口、そして人口2万人余りの栃尾地域の5地域が対象となっております。
この5地域の現状を人口統計で分析してみますと、最初に「過疎法」が施行された昭和35年当時の過疎地域5地域:山古志村、小国町、和島村栃尾市そして川口町の人口の総計は、「長岡市過疎地域自立促進計画」の統計から73,205人となっており、この数は、現在の長岡市の人口の4分の1となっております。
先般発表されました「平成22年度国勢調査速報」から、過疎5地域の人口は37,592で、この50年間に49%も減少しており、この数は現在の長岡市の人口の8分の1となっております。
因みに各地域の減少率は、山古志:80% 小国:57% 和島:37% 栃尾:44% 川口:41%で、5地域合計で49%減、半減しております。一方、長岡市全体で見てみますと昭和35年:現在合併した市町村の総人口は、284,028人、そして平成22年10月時点では282,719となっており、減少率は僅か0.5%となっております。
この統計から推測されることは、過疎地域では過疎が進み、長岡の平場地域では人口が増え、以前より過密になったということが言えるかと思います。
また、5地域の昨年4月1日時点の高齢化率は、5地域全体で33% 各地域の数値は、山古志 43% 小国 38% 和島 29% 栃尾 33%、川口 30%で、現在の長岡市全体の25%に比べ非常に高くなっております。
これら過疎地域は、ご存知のように平成16年10月23日に発生しました中越地震で甚大な被害を受けた地域であり、家屋の被害が酷く、加えて、農地・農業施設などの被害も甚大で、地震を契機に長岡地域の平場に移転された方も多く、過疎化、高齢化に拍車をかけてきたのも事実です。
このように過疎化・高齢化が進む、特に中山間地の集落に於いては、延長された過疎法が期限を迎える平成28年には限界集落、村を閉じてしまう閉村集落が後を絶たないのではないかと大いに懸念されます。
昭和45年に10年間の時限立法として「過疎地域対策緊急措置法」が制定され、その後、昭和55年、平成2年、そして平成12年に改正され、法律の名前は「過疎地域と措置法」との間に挟まれる字句が「振興特別」「活性化特別」「自立促進特別」と「振興→活性化→自立促進」というように変化しているにもかかわらず、法律の主たる目的は、50年間ほとんど変わることなく「住民福祉の向上」「雇用の増大」そして「地域格差の是正」となっていたことに大きな疑問を感じています。
国もそして学識経験者も、過疎地域は、安全・安心な食糧や水、エネルギーを供給し、国土の保全等、国民全体の安全・安心な生活を支える重要な公益的機能を有していると位置付けていますが、今回延長される法律では、過疎地域の要件の追加、過疎債のソフト事業への拡充・対象施設の追加などが主な変更点であり、『瀕死の状態にある中山間地の過疎地域をどうにかしなければならない』と云うような意気込みや危機感等は感じられず、この法律の期限である6年後には、「過疎地域は無くなっても仕方ない!」というような投げやり的な印象すら受け取られる内容に唖然としております。
 ここでこれまで過疎法の下、過疎地域に対して様々な施策が実施されてきましたが、これら施策に対する問題点・課題を私なりに指摘してみたいと思います。
1. 過疎計画が国から市町村へのトップダウンであり、全国一律で、主にハード面所謂、公共事業的な施策が中心であったのではないか。
加えて、現場の担当である市町村は、国からの過疎債や補助金を既得権として只貰うことを目的とし、現場の状況や課題を的確に把握しその問題を国に上げる努力を怠ってきたのではないか。そのため法律の名前は変わり改訂されたように見えても、内容は見直しをされないまま、現場とかけ離れた施策が50年間も継続され、効果が上がらず過疎化が進んだのではないか。
2. 過疎法の目的の第1は「住民福祉の向上」と言いながら、人口減少を理由に、費用対効果や経済効率という観点から、バス路線の廃止、小学校の統廃合、そして市町村合併で役場が廃止されたり、また、郵便局や農協の撤退、雑貨屋や酒屋などの個人商店が閉店したりして、集落の活気は失われ、結局、村を出ることのできない高齢者たちだけが取り残されてしまったのではないか。
3. 国も地方も、過疎地域の基幹産業は建設・土建業そして農業であり、産業振興の観点から、道路や水道、下水、土地改良事業等の公共事業;ハード事業に重点を置き、また、農政による中山間地域等直接支払制度で中山間地の農村に補助金を投下すれば農家と集落は活性化すると思い込んでいたのではないか。
つまりハード面と人材育成や地域活性化の為のソフト面の施策が一体となって進められるべきものが、ハード面ばかりが優先したために今の過疎化を招いてしまったのではないか。
4. 過疎化対策は、農業振興対策的な考え方があり、農業対策に特化した施策が中心で、他産業 例えば福祉、教育、観光等との連携・協働により、農村の長所、利点を生かした新しい産業を起こすことへの取り組みが足りなかったのではないか。
5. 過疎地域では、人口減少したことで、過疎地域の住民からの要望は少数意見となってしまい、また高齢化が進みオピニオンリーダーがいなくなり、政治的にも行政的にも忘れられてしまったのではないか。
6. 役人や大学の先生等の学識経験者などは、過疎地域の大切さを何度となく声高に言ったり、また、ボランテイア、NPO,民間、企業、財団等が過疎地域に入って過疎地域の素晴らしさを理解して呉れたりする人も多くなったが、過疎の現場に住んだり、長期間活動したりする現場で汗を流す人はまだ少ないのではないか。
7. 過疎化から、村を守り、人を守ることに対する国民的コンセンサスを得るための努力が足りなかったのではないか。
8. これまで様々な交流事業が実施されてきましたが、地域住民のための交流というより、外来者のための交流で、一過性の交流が多く、交流を通して地域に新たなる仕事を起こすまでに発展せず、若者や外来者の定着や流入が進まなかったのではないか。  以上、色々な問題点、課題が挙げられます。
具体例としては、50年にわたる過疎法施行により、確かに中山間地、過疎地を走る道路は整備され、今冬の除雪も市街地に比べ大変綺麗に対応されていることは高く評価します。しかし、地域住民の利便性を図り、過疎化対策の為に整備された新しいトンネルは、冬場それまで長岡の平場へ行くのに1時間近くかかっていたものが20分足らずで行くことが出来るようになりました。そうであれば、通勤、通学、日常生活の利便性を考えた時、雪が少なく、職場に近く、そして学校へも徒歩で通学できるトンネルを越えた平場に引越し、そこからこれまで住んでいた家や農地を管理するため、週末通うと云う人も少なくありません。
このように新しく整備されたトンネルは、地域住民が平場へ下りて生活する為のトンネルになり、トンネルが出来たことで地域住民の数は更に減ってしまい、交通通信体系の整備だけでは、過疎は食い止めるどころか、逆に過疎を加速してしまうという、おかしな現状となっています。

一方過疎化対策のモデル的な例を挙げてみますと
 昨年1月末、農業分野における障害者の就労・訓練をテーマにリリックホールで開催しましたフォーラムに先進事例発表の講師として招聘しました「カナン牧場」がある岩手県一戸町奥中山地区は、戦後の開拓村で人口の少ない地域でしたが、開拓村であったことから、全国各地から色々な人材が集まっており、数名の有志で障害者が安心して一生暮らせる地域づくりを目指し、学校法人と福祉法人を立ち上げ、積極的な障害者の受入れを行い、障害者の働く場を創設し、現在は福祉と農業がしっかり連携した障害者が安心して街中を闊歩できる町として活性化しています。
また、以前ヨーロッパで仕事をしていた時訪問した、標高900mにあるスイスの中山間地域の山村は、都市が立地する谷間の平場特有の早朝の霧が立ち込めることがなく、そして平場よりも早くお日様を拝むことが出来、平場に比べ遅くまで日沈まないという立地条件から、近年都市住民が移住し人口が増えているとのことでした。
当然その集落の基幹産業は農業であり、農業によって周辺の環境や景観は綺麗に整備されており、そして住民の大部分は、車で30分ほど下った平場の都市部へ働きに行っていました。
その集落には小さいながらも小学校があり、教会があり、雑貨屋があり、そして郵便局があり、その郵便局に郵便を配達する車は「郵便バス」と称して、1日何回か平場との間を往復し車を持たない住民を運んでいました。
このように新たなる仕事を起こしたり、過疎地域が持つ長所を上手く活かしたりすことで、過疎化を食い止めることは十分可能ではないかと思います。
過疎地域は、これまで中心市街地が抱えてきた空洞化、高齢化等云う同じような問題を抱えており、問題の内容は中心市街地よりも複雑かつ深刻で、緊急性の高いものであると思います。そして、これらの過疎化の問題は、編入した市町村、そして長岡地域においても共通した問題であると思います。
これまで縷々過疎化の問題について述べて来ましたが、以下質問いたします。
1. 過疎地域における今後5年後10年後の人口動態をどう予測されているのか
 今回の国勢調査でも明らかになった通り、過疎化の進展は、これまで予測した以上に速いスピードで進行しています。行政として過疎地域の実態調査をしっかりしなければならないと思います。今後、限界集落、廃村となるような集落が生じることが予想される中、5年後、10年後の過疎地域における人口予測についてお聞かせください。
2. 4次にわたる過疎対策立法の成果をどう検証されているのかお聞かせください。
3. 地震後の地域復興事業による過疎地域における成果をどう検証しているのか
 震災後の復旧復興事業を過疎対策立法とどのように連携して実施され、その成果はどうかお聞かせください。
4. 地域復興支援員の評価について
 現在、被災地域:過疎地域に入って活動している地域復興支援員は、地域復興のネットワークづくり、交流事業の企画・実施、住民と行政との連絡調整、そして住民の見守り、相談、情報提供など様々な分野で活躍されております。
今後、過疎地域の活性化の観点から、復興支援員というよりも地域活性化支援員として更なる活躍を期待している所でありますが、市としてはどのように評価され、そしてこのような人材をどのように活用されて行かれるのかお聞かせください。


5. 今後の過疎地域をどう活性化していくのか
 過疎問題は、待ったなしの危機管理的な問題であると思います。今後は中心市街地活性化対策と同様、長岡市の重点施策として過疎地域を含めた中山間地域の活性化に積極的に取り組んでもらいたいと考えておりますが、お考えをお聞かせください。
 
 私は大学で農学を学び、ドイツへ農家実習に行き、その後農業後継者の育成事業に携わり、日本各地の農村、そしてヨーロッパ諸国の農村を回り、色々勉強させてもらいました。
また、ドイツから帰国後、直ぐに園芸福祉という活動に携わり、議員活動の傍ら、過去4年間「農園芸分野における障害者の就労・訓練の推進」に積極的に関わって参りました。
私は、これから過疎地域に身を投じて、これまで学んだこと、そして経験したことを具現化すべく、栃尾中山間地域に活動拠点を設け『障害者も健常者も、高齢者も若者も全ての人が、人間らしく誇りを持って一生安心して暮らせるユニバーサル社会を、農園芸活動を通じて構築し、それを持続可能なユニバーサル社会として発展させていく』ことを目指し、仲間と一緒に汗をかくことにしました。
そして、その農村で、障害者と高齢者との協働による「農・障・高」連携を図り、新たなる産業・仕事起こしに今後頑張りたいと思っています。
新しい仕事起こし、それは過疎地域に住む高齢者だけでは実現できません。何故なら今後何年関わることが出来るのかという不安のある高齢者だけでは、新しい仕事への投資は難しいからです。
そこに私たちが障害者と一緒に入り、協働することで新しい仕事を起こすことが出来、そして、そこで生活を営むことのできるような収入、仕事ができれば、ハンデキャップをもつ人たちでも、皆で支え合いながら生涯安心して生活して行けるのではないかと思います。つまり、過疎地域において過疎地域独自の仕事を起こすことが大切であると思います。工場や既存の産業を地元に誘致するのではなく、その地で起こせる産業を地域住民と一緒に創造していくことが大切であると思います。 これら活動が軌道に乗れば、更に若者の働く場、活躍する場の創設も可能かと思います。
 これまでも過疎地域においては大学生のインターンシップや交流事業が実施されてきておりますが、過疎地域の活性化で一番のポイントは、そのような若者がどうしたら村に住み、村の担い手として活躍してもらえるかということであり、そのためには魅力ある収入と仕事を用意し、そこに集う若者を立派に教育することだと思います。
 是非、この活動に対し、行政だけではなく議員の皆さん、そして市民の皆さんからも大きなご支援をいただきたくお願いいたします。
政治は「日の当らない所に日を当てる仕事」と思います。過疎化の進む地域は正に日の当らない所ですし、同様に地方都市長岡も、東京と比較した場合、日の当らない所かと思います。
新年度は、アオーレながおかのオープンをはじめ、中心市街地での一大プロジェクトが完成し、中心市街地は賑わいを取り戻しますが、過疎地域は今正に青色吐息の状態であります。
「地方に財源を、地方に光を!」と叫んでいる我々地方議員と同じように、編入された地域、過疎化が進む地域の住民の中には、「過疎地域に光を!」と同じような気持ちを抱いている方は少なくないかと思います。
市長は去る3月3日の3月議会初日に4選への出馬表明をされ、また6月改選の全国市長会会長の再選を目指されておられるとのマスコミ報道です。
是非とも地方都市の市長代表とし森市長から続投いただき、多くの地方都市が抱える、これら過疎化問題を全国市長会として、具体的かつ積極的に取り組んでいただくことをお願いすると同時に、再選されますことを心よりお祈りいたしております。
 最後に、これまで伝統ある長岡市議会の議員として、市民の皆さんからのご支援、市長はじめ職員の皆さん、そして議員の皆さんから温かいご指導、ご鞭撻をいただき、3期12年にわたり、長岡市議会議員を務めさせいただきましたことに対し、心より感謝申し上げます。
長岡市議会、そして長岡市の益々の活性化をお祈りし、私の質問を終わります。
本当にありがとうございました。