日独パートナー会議 in 奈良

懇親会で皆で「乾杯」を合唱する。

 第3回日独パートナー会議が奈良の日航ホテルで開催されました。
 ドイツからは33名が来日され、そして日本側からは全国各地の日独協会の代表及び関係者約80名程が出席しました。
 会議に先立ち、奈良の歴史と由緒あるお寺「大安寺」で東日本大震災の犠牲者の追悼式、そして復興祈念式が行われました。最後に、訪日された独日協会のホンドラン会長から、全国日独協会連合会の木村副会長に大勢のドイツの支援者から集めた心温まる多額の義援金が手渡されました。


 ホンドラン会長は、大勢のドイツ人が、1今回の被災した映像を見て嘆き悲しむと同時に、少しでも被災された人たちに対して何かして上げたいという深い気持ちの現れが今回の義援金である。ドイツでも「Ganbare!Nipponn!]を合言葉に応援しているので、一日も早い復興を期待したいと述べられました。
 また、大安寺の管主からは、4月28日をもって震災した日から数えて49日となる。通常49日は喪が明けるということで、仏教界では法要を営むのが常である。
 「49日を契機に、これまでの自粛ムードから脱却し、活発な活動を展開すべきではないか?」と提案されました。
 その後、ホテル日航に移動して、パートナー会議が開催され、今回ドイツ側からいただいた義援金をどう役立させるべきか?そして日独の若者世代を今後どのように交流させるべきかというテーマでディススカッションが為されました。

 全国日独協会も連邦独日協会もご多分に漏れず、会員の高齢化が進み、加えて後継者となる若者の参加が少なく、今後の会の運営に支障をきたすような状態になっています。実際、今回参加された各地の日独・独日協会の代表で私よりも若い方は見当たりませんでした。
 これまで日独の関係、そして日本に於けるドイツの地位は、医学、法学、音楽、哲学、物理学、そしてスポーツの分野に於いて確固たるものがありました。しかし、経済のグローバル化、そして価値観の多様化によりドイツの地位もどんどん低下しつつあります。逆にドイツに於ける日本の地位も同様な傾向にあります。
 しかし、これまで150年間ドイツと日本との間に築かれた人の絆は強くそして多岐に亘っています。それら絆を築いてきた先輩達にとっては、石にかじりついても日独、独日の友好の絆を更に太いものにしたいという気持ちはよく理解できます。
 今回の連邦独日協会からの義援金は、県や市町村等の公共団体や日赤等に渡すのではなく、日独の絆を今後更に発展させてくれることが期待できる若者たち、具体的には被災を受けた高校生達の育成の為に使うことが議決されパートナー会議は終了しました。時間も限られ、そして100名を超す参加者でしたので、発言の機会がなかったのが一寸残念でした。
 会議終了後は会場を変えて「交流会・懇親会」となりました。ワイングラスを片手に来日された30名余りのドイツ人と色々とおしゃべり出来本当に楽しい一時でした。
 全独日協会会長で、現ボン市独日協会のメンヒ女史とは15年振りの再会、当時、独日協会のクリスマスパーテーで私が餅つきをしたことを良く覚えていてくれ、本当に懐かしい再会となりました。
 彼女は、中締めの挨拶で『これまでは、成田空港から都心までは何回も渋滞に巻き込まれたり、都心では信号待ちが何回も続いていただが、今回は渋滞も無く、そして信号待ちもない寂しい東京に唖然とした。各地を旅行したが、何処の観光地も人がいなく大変だと嘆いていた!』等、東日本大震災後の日本の様変わりに驚いておられました。

最後はドイツの酒場でよく歌われる乾杯の歌「アインプロージット、アインプロージット、デア、ゲミュートリッヒカイト 繰り返し」を合唱し楽しい会が終了しました。