青少年健全育成

 5月から地区の青少年健全育成会連絡協議会の会長を仰せつかり、幾つかの会合に参加させてもらい、最近感じたことをつれづれ取り纏めてみました。

1.いじめを無くそう
 大人や学校の先生が中心になって「いじめをなくす、いじめる子をなくするという、いじめ撲滅運動」を否定するつもりはありませんが『いじめに負けない強い子どもを育てる』ことに重点に置くべきかと思います。
 社会に出れば残念ながら「いじめは」日常茶飯事、いじめを苦に自殺する大人は後を絶ちません。いじめを苦に子どもが自殺すれば大きなニュースになり、その子どもに関った人たちの責任が問われます。
 しかし、学校という箱から出て、社会に出されてしまえは全て自己責任として捉えられ、自殺の原因は深くは追求されませんし、周りの人たちの責任も深くは問われていません。
 また、以前私がドイツで生活していた時、外国人としてドイツの市立の保育所や小学校に通った長女は、ドイツ人からのいじめに遭いましたが、本人は外国人であるトルコ人や中国人の友人に守られ、小さいながらも、それら、いじめに対応・対抗しました。
 つまり『いじめ』というものがきちんと規定されない中で、只いじめをなくそうと云っても「絵に描いた餅」であり、また、学校という箱の中では、先生という大人の監視の目があれば、いじめ撲滅という目標の達成は、絶対不可能とう言えないかと思いますが、箱から一歩出れば、いじめは当たり前、そして国際社会では、人種、肌色、言語、宗教等との違いによる差別、そしていじめは否定できない現実です。いじめをなくすのではなく、いじめに負けない強い子を育てることに重点を置くべきかと思います。

2.子どもは弱い者
 地区の防犯・交通安全の会合に参加しますが、こちらでは「子どもは弱い者」との考え方が根底にあるのか?子どもは大人が守らなければならない!という考え方が主流の様で、横断程を渡るのも立哨に立つ高齢者の方々が体を張って、通せんぼして守っ上げています。
 立哨に立つ方々に「子ども達もい色い旗を持っているのだから、自分たちで左右の安全確認をさせて、横断させてあげて下さい!」と言っても、「立哨が毎日の日課、生甲斐なのだから!」と言われ、なかなか対応してもらえません。
 こんな過保護の状況では、大きくなった子どもたちが、将来海外に出たらどうなるのか?と懸念しています。


3.大人の満足
 子どもの満足と親の満足は当然違うと思いますが、私も含め親は、自分の望むような子どもに育てくれることが家庭教育の目標であり、親の望むように子どもが育ってくれれることが、家庭教育の成功例と勘違いしている所があるのではないかと思います。
 自分が子どもであった頃、何を思い、考えたのかを思い出せば、自ずと今親が思っていることが間違っているということが理解できるかと思います・
 人生経験という社会での経験で培った「社会常識」が、子どもであった大人の考えを変化させてしまったのだと思います。
 子どもの考え、希望、夢をきちんと聞いて上げ、話し合いながら子育てをするのが家庭教育のモットーではないかと感じる今日この頃です。

4.大人の欺瞞
 昨今、子どもが加入しているスポーツ少年団やクラブ活動では、親の送迎や応援が当たり前になっています。土日となれば親は子どもの送迎と応援に付き合わねばならず、正に、休日は子どものための家庭サービスでーとなっています。
 出て来ない親の子どもは冷遇され試合に出させて貰えないなどのと声も聞こえて来ます。
 子どもが勝つと、親は大騒ぎで、直ぐに保護者会での飲み会が企画されのが当たり前、子どもが頑張ったことを祝うのではなく、自分たち親が頑張って送迎し、応援したことに満足しているように見受けられます。
 主人公である子どもを差し置いての親だけの飲み会はどうかと思いますが?
 昨今、子どもの関係での飲み会が多くなったのは、経済が低迷する中、昔のような会社内での人間関係が崩壊したり、地域コミュニティが崩壊してしまったため、職場や地域の付き合いが希薄になったことがひとつの要因かと思います。

5.ゆとり教育
 以上のように今の子どもは、大切にややもすると過保護に育てられ、また、一方では大人たちの自己満足、そして大人の期待するような型に育てられる傾向にあります。
 「子どもの為」と言いながらも、実は親の都合で子ども達を引きまわしているのではないかとも感じられます。
 ゆとり教育と言われますが、もうすこし時間的ゆとりをもった教育、つまり子どものしっかり時間を与え、考えさせる教育、親も大人も同様、ゆとりを持った子どもたちへの対応が望まれると思います。