一票の格差

 政治が司法判断をこれまで甘く見ていたため?今回違憲判決が至る所の裁判所から出され、政治は混乱している。実際一票の格差とは一体何なのか?
 「一票の価値?」と問われた時、果たして、実際投票率が低迷する昨今、自らに与えられた一票という権利に価値を感じている人は、当事者である政治家以外どれだけ居るのだろうか?政治に期待が持てない今、政治家の当落は当事者やその関係者以外どれほど重要なのか?過去2回の総選挙を見ても分かるように、政治家が様変わりし政権政党が変わっても日本の政治の本質は余り変わっていない様に感じる。
 まずは、整理してみると「一票の格差」は、日本全体で行う国政選挙に限って大きな声で言われてきたことである。
 つまり、大都市の人口密集地域と過疎化が進む地方との格差を言っているのであって、地方選挙の場合はこれまで殆ど一票の格差は論じられてこなかった様に思う。
 例えば県議会議員選挙の場合も当然、選挙区がありその選挙区は市町村を単位としたり、政令市の場合は区を単位にして区分けされているので、国政選挙同有権者数を定数で割った数には差があるが、今回の様な違憲などというような大問題には発展していない。
 何故か?先ずは違憲だと云わせているのは、当の政治家であり、それも負けた者が言っているのであって、勝った者にとっては、違憲判決、選挙無効になったらと考えれば、一票の格差等は口にしないはずである。
 言い換えれば選挙に勝ったものは、実行された選挙は無効であってはならない、逆に大敗した者にとっては、あわよくば選挙が無効となり、再度選挙が実施されれば当選する可能性が出てくるので、今回のような状況が出ているのでは?と思う。
 また、国政で格差が論じられ、県政では余り論じられない理由は、地方の政治家がより選挙民:住民に近い存在であり、地道な活動をしていれば、選挙に当選できる可能性が大であり、しっかりした:重い一票を持っているので、一票の格差等は余り論じられないのではないかと思う。
 逆に、マスコミや世論誘導に左右され、日頃の地元での活動よりもマスコミ受けする中央舞台でのパフォーマンスが選挙活動になってしまった今の国会議員にとっては、浮動票なる:軽い一票こそが、自らの当落を決める大切な票なのだから、票に価値が生じ一票の格差を生んでしまっているのではないかと思う。
 格差を是正するのは、区割りを変えたり定数を変えたりしても、人口は動くものであるので常に公平性は保てるものではないし、また、ある程度の幅を決めその中に納まるような格差是正をした所で、いつかはおかしくなってしまう選挙区も出てくるので、それに常時対応するためには毎回区割りや定数を見直さなければならなくなる。特に高齢化人口減少に突き進む日本においては当面する大きな課題である。
 そんなことをやるよりも、国政の役割を外交、防衛、税の徴収、予算配分位に制限し、実質的な政策、例えば教育、産業、福祉等は地方政治に委ねたとすれば、国会議員の数もそう必要ではなくなるし、また、地元に密着した政治が執行できるのではないかと思うので、数合わせの改革ではなく国と地方の役割分担を明確にし、国から地方に権限を譲渡し、今後国は余り仕事をしない様にすれば、国会議員の選挙では一票の格差については、大きなテーマにならないのではないかと思うが????