ドイツでの1年間

hiroshikaro2009-05-04

 3月末に1年間のドイツでの実習を終えて帰国した女子研修生からの報告書の抜粋を掲載させて貰いました。
『一年間は本当にあっという間でしたが、一日一日はゆったりと時が流れ、その中で非常に充実した暮らし方ができたと思います。
とはいっても仕事は忙しい上にハードで、生活の中心は農作業にありました。初めはそこに楽しさを見出せず、「自分をPraktikantin(実習生)ではなくArbeiterin(労働者)とでも思わないとやっていけない!」と半ばやけっぱち状態でした。しかし次第に仕事が分かるようになると野菜栽培に対する興味が深まっただけでなく、自分がしている事への愛着と責任、そして誇りを持って取り組むようになりました。とにかく農作業が面白くて夜中や休みにも畑に出て行っていたものです。
また配属農場には外国出身者が多く、インターナショナルな環境で暮らすことができました。見聞きするもの全てが日本での生活と大きくかけ離れていて驚きと戸惑いの連続…日本にいるだけではなかなかできない経験です。アラブ世界、ラテンアメリカなどの様々な文化に触れました。そんな外国からの仲間と常に行動をともにしていたので受けた影響も大きく、自分自身も変わったように感じます。研修前の私は何かと固定観念にとらわれてしまいがちでした。親しい同僚には何度も「考えすぎるな。もっと単純に、熱い心を持って臨め!」と言われたものです。その言葉の意味を理解するには時間がかかりましたが、彼らとの生活の中でfrei(自由)になっていく自分がいました。それからはありのままの姿をさらけ出して自然体で人と付き合えるようになりました。
あの農場であの大切な仲間たちと出会えたこと。共に仕事をし、一緒の時間を過ごせたこと。全てに幸せを感じています。終業前にみんなで1台のトラクターにつかまって畑から帰ってくるときの清々しさと景色の美しさを一生忘れはしません。―――』
さて、私が実習したのが1982年ですので既に27年もの歳月が経っています。私も彼女同様野菜農家での実習でしたので、大勢の外国人労働者と汗まみれそして泥まみれになって働き充実した1年を過ごしたことを今改めて思い出しております。
 何故その1年が充実していたかと思う時、それは新しい環境で自ら一人でそして自分自身の勉強・成長だけのために時間を費やしたからではないかと思います。
 それまでの私、そして実習から帰って来てからの私は、家族や友人など諸々のしがらみの中で生活しており、本当に私自身のためにのみ生きてはいれないというのが現代社会であり、自分が暮らしている社会であると思います。
 そういた意味で、ドイツでの実習は何もかもが新鮮であり、そして何もかもが私自身の身になったような感じがします。それだからこそ今も鮮明な記憶として蘇ってくるのではないかと思います。

 3年前にシェフ(農家の親父さん)の80才の誕生パーティーに行った時も実習時代にお世話になった大勢の人達と時間の経過など関係なしに素直に再会を喜びあったことは、正に一生の宝物と思っています。
 そういった意味でも1年間ドイツで実習出来たことそして実習させて貰ったことに対して今も感謝の気持で一杯です。