平和を守る

hiroshikaro2009-08-01

 「平成21年度非核平和都市宣言市民の集い」が本日8時より40分間長岡市平和の森公園で開催されました。全国に先駆けて長岡市非核平和都市宣言をしたのが昭和59年8月1日ですので、今年はそれから丁度25年という節目の年、もう四半世紀の年月が経ちました。
 宣言文には「私たちは、私たちの先達から受け継いだこの貴重な財産を、次の世代に引き継ぐ歴史的な使命を負っている。これを再び戦火にさらすことは、絶対に許されない。世界に戦禍の絶え間なく、核戦争さえ危惧されるなかにあって、私たちは、今こそ被災地の悲惨な体験を強く訴え、戦災都市長岡から平和の灯を広げていかなければならない・・・」とあります。
 市民の集いはその趣旨に則り「黙祷、宣言文朗読、放鳩、主催者挨拶、平和像の由来、献花、長岡空襲のお話、祈り鶴の依託、平和の誓い」の次第となっています。
 森市長の主催者の挨拶、空襲体験された方の「長岡空襲のお話」そして広島派遣中学生代表の「平和の誓い」にはそれぞれ「今の平和を守って行かなければ」との強い訴えが入っていましたが、果たして宣言文にあるように「被災地の悲惨な体験を強く訴える」ことだけで平和の灯が広がり平和が守られるのか?という疑問を感じています。
 昨年広島市を訪問した際にも同じ疑問を感じ、「原爆の悲惨さを訴えることだけで、果たして現代の世界平和が推進できるのか?」という疑問を広島市の職員の方に質問しました。

 戦後12年目に生まれ、私の両親そして祖父母も戦争時代を体験し、小さい頃から戦争の話を聞かせてもらい、それでも戦争については「怖いもの、してはいけないもの」という実感はありましたが、既に戦後64年戦争体験を話せる人は75才以上の方々でなければ難しいと思いますし、あと数年もすればその方々も居なくなってしまします。また、今の小中学生にとって「焼夷弾、空襲、防空壕そして昔の地名等」を話してもピンと来ないのが現実ではないかと思っています。
 戦争の悲惨さを語り継ぐことは今後も継続していくべき事と思いますが、宣言をして25年が経った今、現実的に平和を守るという行動はどうあらねばならないかを良く議論していかなければならないと感じた市民の集いでありました。