高校授業料無償化よりも・・・

古いデスクトップのコンピューター

 今国会で高校授業料無償化が審議されています。高校生を子どもにもつ私にとっては経済的に困っていなくても、本当にありがたい話です。逆に子どもの居ない人、そして既に高校を終わった人達にとっては「何で大切な税金を?もったいない!遅過ぎる!必要ない!」と考える人も少なくないと思います。これらの発想は、自分が当事者であるか否かから来るもので、本当に日本の高校教育はどうあるべきなのか?という大局的な考えから出てきたものではないと思います。
 昨日、北海道の美唄高校を訪問し、現在の高校の抱える問題点について、校長先生、教頭先生そして教科担任の先生方と、このことについて意見交換をする機会がありました。
 美唄高校は現在全校生徒300余名、9年前の平成13年は倍の600余名だったとのことで、生徒数の激減に驚かされました。
 北海道でも過疎化の激しい空知地域ですので、子どもの数の減少が第一の原因とのことですが、結局生徒数が減少すれば、それに比例して学校予算も減少され、学校の設備投資も滞ってしまい、現在の社会環境に対応できないものも少なくありませんでしいた。

 例えば、美唄高校開校時、平成11年に整備された「コンピューター」ですが、当時は購入に対して国庫補助金が付いたことから、コンピューターは全て買い上げたとのこと、実際コンピューターは10年経った今も壊れずに動いているので更新されません。
 しかし、10年前のコンピューターと今のものとでは性能も速度も雲泥の差、そんな時代遅れのコンピューターで勉強して社会に出ても通用しません。そんな物を後生大事に使い続けるという判断は?間違っているのでは?感じました。
 将来ある学生、またこれから社会を背負っ行く若者ですので、そのような古い物を使っているようでは、学習意欲も夢も湧いて来ないのではないかと思います。
 全ての高校生の授業料を無償化する金があれば、経済的に問題ない学生の分を学校教育充実のために充てるべきではないかと思います。
 例えば、先生の増員、古い施設の更新、最先端の教育機器等の整備等、ばらまき的な政策をする前にやらなければならないことが山積しているように思えます。
 子ども手当も含め「金をまけば選挙に勝てる。」そんな選挙目当ての政策では、日本の高等教育は決して良くはならないどころか悪くなるように思えてなりません。
 子どもが興味を持って通える、そして塾や予備校などに通わなくても安心して、しっかり地元の学校で勉強できるような学校教育の基盤整備に金を掛けなければいけないと思いますが?