小さな学校

hiroshikaro2012-06-17

 教育現場にもよく政教分離が議論される。しかし、昔から集落で奉られている鎮守様は別格だと思います。
 西谷地域の活性化の調査をしている時、たまたま地元の中野俣小学校の脇を通り、小学校と神社が一体となっていたのに驚くと同時に、何かノスタルジアを感じました。
 校舎自体も相当の年月が経っており文化財的な存在。そして、なんと行っても小学校のグランドをまたいだ状態で鳥居と御宮様が建っているのには感動しました。
 鳥居は運動会の時の入場門にも使われているのかな?と思わせる位、グランドと一体化していました。
 全校児童数は16名とのことでしたが、校舎からは元気な子どもたちの声が聞こえて来ました。丁度グランドの整備をしておられた管理員さんから
 ○来年は新入生はいないが、再来年には新入生がいる。
 ○小学校の運動会は村あげての村内運動会である。
 ○小学校は村の中心なので何時までも存続して欲しい。
 等のお話しを聞かせて貰いました。
 教育行政の効率化、そして競争心を育む為にも複式学級や小規模校では駄目だ!という考えから、小さな学校はどんどん廃校となり、子どもたちは遠く離れた学校へバスで通うようになると同時に、その集落の過疎化は急速に進んでしまったのが、これまでの現象でした。
 学校を統廃合することで、どれだけ経費削減が出来きたのか?スクールバスで大きな学校に通うことで、どれだけ子どもの教育に効果があったのか?そして学校がなくなったことで、保護者の負担がどうなったのか?そして、その集落が受けた影響はどうであったのか?など具体的に検証されないまま、お金のなくなってしまった日本の教育行政は効率化の下、これからも小さな学校の廃校を進めて行くのではないかと危惧しています。
 一方では地域振興、農業振興、そして高齢者対策と称して、訳の分からない事業が過疎化・高齢化の進む集落に投下されています。
 人が安心して住める場所とは、先ずは、高齢者はもとより、子どもも障害者も含め社会的弱者と云われる人たちが安心して住める空間だと思います。そういった意味からすると学校がないということは、安心して子供が教育を受けることが出来ない環境になることです。
 首都圏では、そして大都市では、保育園の数が足りなくて待機児童が殺到している一方、田舎は子どもが全くいない現象こそ、これまで日本政治が人口問題に対し全く無策であったことを物語っています。
 小さな学校を無くすよりも、人口のアンバランスをどう解消するかに頭を使うことこそが「真の教育行政」ではないかと思います。